どこからか、甘い匂いが漂ってくる。
十中八九、調理室だろう。
匂いに引き寄せられて、宇髄は調理室の窓から中を覗いた。
中では生徒たちが慌ただしく作業をしていた。今は部活時間だから、料理部だ。



「おーおー精が出るねえ、おまえら」
「あー!宇髄せんせー!」

彼女たちが作っているのはチョコレートだ。そう。2月に入って男女ともに浮足立つお祭り。
もうすぐバレンタインだ。
まだ手作りをするには早くないかと聞くと、今日は試作だと言う。

「みょうじせんせーも作ってんのか?」
「そうだよ。あ、でもさっき電話が入ったとかで職員室行ってるけど」
「ふーん」

みょうじ先生。みょうじなまえはキメツ学園の家庭科教師で、料理部の顧問だ。
小柄で、どちらかと言えば童顔なので、生徒からは「○○ちゃん先生」と呼ばれている。
特にそれで怒るわけでもなく、友達感覚で話せる先生として生徒からの好感も高い。
それは教師陣も漏れなくで、宇髄も彼女に好感を持つ1人である。何なら同僚以上の感情を持っていた。

「ははーん。宇髄先生、なまえちゃん先生のチョコ狙ってるんでしょー」
「なんだよ、わりーかよ。教師をからかうんじゃねえ」
「だって先生がなまえちゃんのこと好きなの、全校生徒が知ってるのに全然進展ないんだもん。つまんない」
「見せもんじゃねぇっつの。でもだよなぁ。分かりやすくアピってると思うんだがなぁ」

生徒に恋愛相談するのもどうだかなと思いつつも、悩みが絶えない。

これまでも、可愛いなんて言葉はしょっちゅう言ってきたし、髪形を変えればすぐに褒めたり、食事に誘ったりしてきて、
それはそれは分かりやすい態度を取ってきたはずだ。それこそ全校生徒公認になるくらい。
なのにこれといった進展が一切ないまま今に至る。

「先生、もっとこう、ガツンと、先生がいつも言ってる、派手にガツンと行かないとだよ!もしかしたらなまえちゃんも、気付いてて敢えて待ってるのかも」
「そうだよ、何のためにイケメンに生まれてきたの?イケメンの無駄遣い!」
「お前ら・・・言うようになったじぇねえか・・・」

そう言いつつも、彼女たちの言う通りで、全く地味に情けない、と天を仰いだ。
参考にするわ、と言って調理室を後にした。後ろから「せんせーファイトー!」と声がしたので、とりあえず振り返らずに手を挙げて返した。








自分も一仕事終えて職員室に戻ると、部活が終わった彼女が帰る準備をしていた。

「みょうじ先生ももう終わりっすか?」
「あ、宇髄先生、お疲れ様です。はい、ぼちぼち帰ろうかと。先生もですか?」

そうだと答えると、外寒そうですねぇと言いながらマフラーを首に巻いた。小柄な彼女が大判のマフラーに巻かれたようになって、それがまた可愛い。

デスクの上の紙袋には、おそらく今日作ったであろう、チョコレートの試作品が目に入った。

「それ、今日作ってたやつっすよね」
「知ってたんですか?そうなんですよ。バレンタインが近いから、今日の部活は絶対チョコだ―!って生徒に頼まれて」
「また派手に大量に作ったなぁ」
「こういうのは大量にできちゃうんですよねー。友達とかにお裾分けする予定です」

そう言って苦笑する。
自分もチョコがほしい。言うなら今じゃないのか。いい歳した大人がこんなことで悩むなんて、と思うが、それだけ自分にとっては大問題なのだ。



「・・・・・・俺は貰えないんすか?」
「え?」
宇髄の予期せぬ言葉に、大きな目をさらに大きくして聞き返した。
「それ、チョコ。俺も欲しい」
真剣な目と声のトーンで言われて、彼女は戸惑っているようだった。
「えぇと、宇髄先生なら当日にたくさん貰えるんじゃ・・・」
「みょうじ先生の限定で」
「し、試作品ですけど・・・」
「それでも」

決して逸らさない宇髄の視線に、頬が染まる。そして、一瞬視線を逸らしたかと思うとまたこちらを見て、またふい、と逸らした。


「あ、あげません」
「はっ?」

ここまで言ったらてっきり義理の1つでも貰えると思っていたため、かなり素っ頓狂な声が出た。
マジでか。本格的にダメなやつか。がっくりと肩を落としそうになるが、諦めてなるものかと食い下がる。

「ダメなんすか?」
「あ、あげません」
「なんで?」
「し、試作品なので」
「それでも欲しいんすけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

押し問答のようなものが続いて、ついに彼女が押し黙る。そして、はぁ、と諦めたようにため息を吐いた。



「これは試作品なので、宇随先生には”、あげません」
「・・・・・・・・ん?」
”宇髄先生には”の部分をやたら協調され、一瞬理解できず聞き返す。
「だから、ちゃんとしたの、 あげたいじゃないですか・・・・・・・・・・本命には」

本命?語尾が小さかったので聞き取りにくかったが、確かに彼女は「本命」だと言った。
本命にはちゃんとしたものを渡したい。だから試作品は渡せない。自分には。


「マジでか!!」
「わあっ!急に大声出さないでください!って宇髄先生!ここ、ここ職員室です!」

溜まらず抱きしめてきた宇髄の背中を、やめろと言わんばかりになまえがバンバンと叩く。しかし、抱きしめる力は緩まることはなく、さらに強くなるだけだった。

「せ、先生・・・」
「いやーこんなにバレンタインが待ち遠しかったことはないわー」
「えー・・・そんなにですか?大袈裟ですよ」
「俺にとっちゃあ死活問題なんだよ」
「それは作り甲斐がありますね」
「派手に気合の入ったやつ頼むぜ」
「が、頑張ります」

そう言って自分の腕にすっぽりと納まる彼女が、また一段と愛おしくて、宇髄はなまえに優しく唇を落とした。











翌日、史上最高に機嫌の良い宇髄に、何かを察した全校生徒が祝福の拍手を送ったのだった。